こんにちは、矢野です。
もし恋愛サバイバル番組に出たら、
「美人を見つけた瞬間に編集カットされる男」として、
オープニング5秒で退場するタイプの男です。
昔の俺は、「美人と付き合えば、人生は全部うまくいく」と思っていた。
いや、正確に言うと、そう思い込もうとしていた。
髪のツヤ、服のセンス、笑った時のえくぼ。
たとえ会話が盛り上がらなくても、
「いや、沈黙すら絵になる」なんて自分に言い聞かせてた。
恋愛じゃなくて、もはや鑑賞。
美術館に通うみたいに、恋をしてた。
だからナンパをしていた頃も、
顔やスタイルで相手を選ぶことに、なんの迷いもなかった。
ただひたすらに顔とスタイルだけを追い求めるマシンのような人間だった。
「美人と付き合えたら勝ち組」。
今思えば、完全に恋愛資本主義の奴隷だったと思う。
でもある日、芸能人みたいな美人と出会って、
そこでようやくわかったんです。
「顔で選ぶ恋はもう俺には必要ない」って。
ナンパをしていた頃は、顔やスタイルしか見ていなかった

俺がナンパを始めた理由は、
ほんと単純なもので、
ただ綺麗な女の子と遊びたいというものだった。
初めてナンパのようなことをしたのは、高校2年生の頃。
大学生になってからは本格的にナンパを始めて、東京の街中でたくさんの女性に声をかけた。
そんな俺が、美人至上主義になったのは、三代目魚武濱田成夫という人が書いた『人生よ あなたは、まるでこの俺様の子分。』という本を読んだことがきっかけだった。
この本はナンパの本ではないが、
たしかフミトバンクさん(『タダでナンパする』というブログを書いていた、ナンパ界で有名な人)のブログで紹介されていたのを読んで知った気がする。
たしか、ナンパについて書かれた「俺の甲子園」だったかの章があり、その内容に感銘を受け、俺は一時期、ナンパに人生を賭けるようになった。
内容としては、三代目魚武濱田成夫さんが、「美人と付き合ったこともないのに、性格重視で相手を選ぶのはおかしい」というようなことを思い、美人を追い求めてひたすらナンパしたという話だった。
当時の俺は、ナンパで多少なりとも女性と遊べていましたが、本当にタイプの美人とうまくいっていたとは言えなかった。
中学の頃は学年のマドンナに恋をしましたが、一言も話せなかったし、高校の頃は、同じ人に2度ほど振られたこともある。
クラス1や学年1の人気者は、いつも勉強や運動ができるイケメンと付き合っていた。
「このまま行くと、一生美人と付き合えないまま人生終わるんじゃ…」と思った俺は、三代目魚武濱田成夫さんと同じく、ひたすらに美人だけに声をかけるナンパを始めた。
そしてついに、芸能人レベルの美人と出会った
ナンパしていたのは、六本木や新宿、表参道や渋谷で、
このエリアは、日本でもトップクラスに美人が多い街です。
でも当たり前ですが、ほとんどの場合うまくいかない。
1年間仕事帰りに毎日、土日はどちらかを使って、ナンパをしていた。
長い時は、夕方から始めて、翌朝までナンパをしていました。その後焼肉とかを食べたこともありますし、今思えば、体力とモチベーションが有り余っていたように思う。
そんな生活を続けていたら、
ついに誰もが認めるであろう美人と出会うことができた。
その瞬間のことを今でも覚えている。
嬉しいのはもちろんだけど、それ以上に、何か許されたような気持ちになった。
「もうこれでナンパしなくてもいいんだ…]
達成感と空虚感が同時に押し寄せてきて、
美人を追いかけるのが、突然どうでもよくなった。
あの日を境に、俺はナンパをやめた。
まるで呪いが解けたような気分だった。
それからも美人が好きなことに変わりはない。でも、見る目は変わった
正直に言います。今でも美人は好きです。
ただ、好きの理由が変わったんです。
以前は、恋人の顔やスタイルが良ければ人生は薔薇色だと思っていた。
でも今は、一緒にいることでお互いの人生が良くなるか?を考えるようになった。
若い頃は、みんな綺麗なんですよ。
10代や20代の肌なんて反則級に綺麗だし、
どんな服でも似合う。露出の多い服を着ても、
それが「若さの象徴」に見える。
でも30代、40代になってからの美しさは、
外見が全てではなくなる。
10代の女の子が「総理大臣誰だっけ〜w」と言っていたら、可愛く見えるけど、30代の女性が同じことを同じように言っていたら、それは知性のなさが露呈されるだけだ。
歳とると、若さは失われる。
でも反比例するように、経験や知性がついてくる。
でもそれは、誰でも普通に生きていたらついてくるものではなくて、ちゃんと生きた結果としてついてくるものだ。
若さでなんでも解決できると思って努力しないでいると、歳をとった時に、何もない人になってしまう。
ナンパをやめてからの俺は、
そういうところを見るようになった。
若い頃はルックスを追ってもいい。でもどこかで変わっていく必要がある

若い頃は、ひたすらに相手のルックスを重視する恋愛も悪くないと思う。
色々な人と付き合ってみたい時期だし、
色々な人と付き合うことで、わかることもある。
ナンパをして知ったのは、美人だからといって性格が悪いわけではないし、美人じゃないからといって、性格が良いわけではないということだった。
美人でも、どこまでも心の綺麗な人はいるし、「○ね」みたいなことを平気で言えるような人もいる。
当たり前だけど、人は人それぞれなんです。
ナンパをする前の俺は、そんな当たり前のことに気づけていなかった。
だから、顔が好みのタイプで、性格もタイプという、2つは相反するものではないし、どちらも持っている相手は存在する。
でも結婚を視野に入れるなら、
顔だけを重視するのは失敗の原因だと思う。
週1程度で会う関係ならそこまで気にならないかもしれないけれど、同棲するとなると、相手の嫌なところも受け入れる必要がある。
味噌汁の味付けが異常に濃いとか、寝起きが異常に悪いとか。
その程度なら気にならないかもしれないけれど、価値観の不一致は喧嘩の原因になる。
若い頃は、多少ぶつかっても「可愛いから許そう」となるかもしれない。
でも相手が40、50になったら?
自分も40、50になるので、気にならないのかもしれませんが、「可愛いからあれもこれも許そう」と思えるだろうか?
そこには、ルックスを超えた何かが必要なはずです。
まとめ
若い頃は「顔で選ぶと失敗する」なんて言葉、
恋愛弱者の負け惜しみに聞こえることもあるかもしれない。
でも今ならわかる。
顔で選ぶと、失敗する。
だけど、顔以外で選ぶことが成功の秘訣だとも思わない。
顔も性格も素敵だなと思える人は必ず存在する。俺はそういう人に出会ったことがある。
だから、顔で選ぶことを悪だとは思わない。
むしろ「顔が好き」というのは、恋愛の入り口として健全だ。
だって、最初に心を動かすのはいつだって「見た目」だから。
本能に正直でいい。
ただ、その先で「この人とどう生きたいか」を見られるようになればいい。
顔だけに惹かれる恋は、刺激的だけど持続しない。
性格だけに惹かれる恋は、安心だけど熱くならない。
その間を見つけるのが、たぶん大人の恋なんだと思う。
俺はこれまで、
「見た目に惹かれて始まった恋」と「人柄に救われて続いた恋」の両方を経験してきた。
美人でも、可愛くても、性格が悪かったら幸せにはなれない。
逆に、最初はタイプじゃなくても、一緒に笑える時間が増えると、不思議と可愛く見えてくる。
歳を重ねれば重ねるほど、
「美しさ=造形」ではなく、「美しさ=在り方」になっていく。
疲れてるときに笑顔で迎えてくれるとか、
こっちが失敗した時に責めずに笑ってくれるとか。
そういう優しさの積み重ねが、
外見を超えた美しさをつくっていく。
俺がナンパをやめたのは、美人を追い尽くしたからじゃない。
「顔よりも大切なものをようやく見つけたから」だ。
恋は見た目から始まってもいい。
でも、終わる時に「この人でよかった」と思えるかどうかは、顔じゃ決まらない。
若い頃はそれがわからなかったけど、
今なら胸を張ってそう言える。

