もし恋愛サバイバル番組に出たら、
「恋はしたいけど、現実は見たくない男」というテロップを出されるタイプの男です。
夜中、布団の中でスマホを開いて、
「最高の1本があるはず」と信じながら、気づけば朝方。
スクロールする指は止まらず、再生ボタンを押す瞬間、
どこかで「またやっちゃったな」と思ってる。
…そんな夜を、何度も乗り越えて大人になりました。
ポルノを見ている時、確かに快楽はある。
けれど、終わったあとに残るのは、
奇妙な虚無と、自分の意志がどこかに置き去りになったような感覚。
俺は気づいたんです。
これは性の話ではなく、意志の話なんだと。
欲望のリモコンを、他人に奪われていないか?

今の時代、あらゆる快楽がスマホひとつで手に入る。
SNSを開けば露出の激しい美人の笑顔、動画を開けば刺激の連打。
脳はもう、待てない構造になっている。
俺たちは一見、自分で選んでいるようで、
実際にはアルゴリズムに選ばされている。
「こいつはただの変態だから、巨乳美人の動画を流しておけばクリックする」と思われてる。
「欲しい」と思うより先に、「おすすめ」が出てくる。
「見たい」と感じるより先に、「関連動画」が並ぶ。
便利だ。でも、その便利さの中で、
ゆっくりと俺たちの意志力は奪われてきた。
ポルノが「意志力」を削る理由
俺はもうずいぶんと前から、
「ポルノはやばい」と叫び続けてきた。
だけど世の中は、「こいつまた言ってるよwww」と、まるで俺をオオカミ少年のように扱ってきた。
医者までもが権威を盾に「自慰行為は身体に害はありません」と主張してきた。
ポルノと自慰行為は厳密には別物だが、イマジネーション以外のネタは、大方エロ本かAVであって、自慰とポルノはセットとみて問題ないだろう。
ポルノの何がやばいって、無意識に依存状態に陥り、しかもそれをマズいと思わない奴らがほとんどだという点だ。
読者の中にも、仕事中や「ここで見たらマズいだろ」というような場面で、AVを見てしまったことのある人がいるかもしれない。
たまに、電車でAVを見ているおじさんがいるが、「それは異常なことですよ」って誰かが声を大にして言わなきゃならない。
じゃあ具体的に、
ポルノの何がマズいのかを見ていこう。
即効性の快楽に慣れていく
脳は努力より即効を好む傾向にある。
動画を開けば3秒で満たされる。
この習慣を続けるうちに、俺たちは「遅い幸福」を待てなくなる。
恋愛だって、仕事だって、
本来はゆっくり積み上げる快楽なのに、
その過程を飛ばして結果だけを求めるようになっていく。
でもそれでは、大きな成果は手に入らない。
AVの中には「出会って3秒で合体」みたいなものもあるが、俺たちが生きているリアルな世界はそんな世界じゃない。
努力と結果にはタイムラグがある。
だから何も得られない時期というのを、耐えなきゃならない。
ポルノに慣れると、そういう待つことで手に入れられるものに耐えられなくなる。
思考が短絡的になってしまう。
報酬回路がハックされる
ポルノはドーパミンを強制的に分泌させる。
一瞬で脳内報酬を受け取れる構造になっている。
でも、その強刺激を繰り返すうちに、
脳は日常の刺激に反応しづらくなる。
普通の恋愛、普通のデートが、
なぜか退屈に感じてしまう。
実際、ポルノを断って1〜2週間経つと、
世界の「色」が少し戻る。
コンビニの照明も、通りすがりの笑顔も、妙に鮮やかに見える。
それは、ドーパミンの過剰摂取で鈍った感受性が、
ゆっくりと回復していく証拠なんだ。
なぜポルノ動画は毎日のように新作がリリースされるのか?
それは、「今日はもっと素晴らしい動画に出会えるかもしれない」、「今日チェックしなかったら最高の動画を見逃すかも」と思わせるためだ。
だから俺たちは、なんとなく毎日のように新作動画をチェックしてしまう。
そして時々、「これは最高」と思えるような動画に出会う。
たまに出会うというのが、これまたミソで、俺たちの依存度を高める要因になる。
選ぶ力が奪われる
気づけば、「次に何を見るか」すらAIが決めてくれる世界になった。
俺たちは選んでいるつもりで、選ばされている。
意志力とは、選ぶ力のことだ。
何をするか、何を断つか、何に時間を使うか。
それを自分の判断で選べなくなった時、
人は人生のハンドルを失う。
だからこそ、ポルノ断ちは意志力を取り戻すためのトレーニングなのだ。
俺たちは、自分で選べるようにならなきゃならない。
自分の意思で選ぶことを繰り返せば、
脳の回路は少しずつ主導権を取り戻していく
我慢ではなく、再設計のプロセス

ポルノ断ちというと、
「俺の人生の楽しみが… 」
「ストレス解消できるのに…」
と思う人もいるかもしれない。
誰だって、ずっと続けていた習慣をやめるのはきつい。
でも考えてみよう。
- 自分にとって良いもの
- 自分の人生にとって良いもの
- 自分の健康やメンタルにとって良いもの
これをやめるとなったら、
「えっなんで?」となるだろう。
でも仮に、
- 自分にとって悪いもの
- 自分の人生にとって悪いもの
- 自分の健康やメンタルに悪影響を及ぼすもの
これをやめるのに
なぜ「ちょっと待ってくれ!」と言う必要があるだろう。
大事なのは気づくことだ。
我慢なんてきついだけだ。
「これで解放された」
「もう見なくてもいいんだね」
と考えることこそ、
ポルノを断つ秘訣だ。
意志力が戻ると、何が変わるのか?
では次に、実際にポルノ断ちをしている俺が、
感じた変化を書いていく。
集中力が戻る
細かい作業や読書に、以前よりも没頭できるようになる。
以前だったら、「今日はどんな動画が出てるだろう?」と、気になって仕方なかった。
ここだけの話、バスの中で動画をチェックしてしまったこともある。
でも今はそれもなくなった。
ただ今やるべきことをできるようになった。
それだけに集中できるようになった。
当たり前のことかもしれないけれど、
以前の俺はそれができなかった。
感情の幅が戻る
ポルノ断ちの最大の副産物は、感情の復活だと思う。
これはオナ禁の効果も含まれているのかもしれないけれど、なんか普通のことで、普通に感動できるようになる。
ちょっとした言葉に心が動く。
街中の夕暮れに、なぜか泣きそうになる。
人を好きになる感覚も、ゆっくり戻ってくる。
ナンパをしていた頃は、ただひたすらに女性の身体だけを追い求めていた。
アダルト動画に出てくるような、バストHカップの美人を追い求めていた。でも今は、人間性がすごく大事だと思うようになった。
自信が戻る
「今日も見なかった」という小さな成功体験の積み重ね。
これだけのことで、少し自信を持てるようになる。
「ポルノを見ないだけで自信?」と、
女性に笑われてしまうような話かもしれないけれど、これは本当の話だ。
世の中のほとんどの男が絡め取られている罠から抜けられたということだけで、少しだけ自分が特別な人間になったような気がしてくる。
女性とも面と向かって話せるようになる。
ポルノを見ていた頃は、「俺はポルノ依存の人間です」って、裏の顔を持っているような気がして恥ずかしかった。
でも今は違う。
みんなの前にいる俺と、みんなの前にいない俺は、ほとんど同じだ。
だからいつでも堂々としていられる。
ポルノがバカらしく感じたある暑い日の夜のこと

俺は子供の頃からポルノが好きだった。
学校の帰り道は、アナグマのようにウロウロ歩きながらエロ本を探して歩いたし、自前のAVを学校に持ち込んでみんなで鑑賞会をしていた。
ナンパした女の子が眠った後、AVをレンタルしに行きテレビで見たこともある。俺にとっては、現実の女性<ポルノの女性だったんだ。
でもポルノの有害さについては、ずっと感じていた。
俺の頭とは別のところで、強制的に見せられているような気がしていたからだ。
ある時、ものすごくタイプの女優が出演しているAVを見つけた。
「こんな女性とリアルの世界でも出会いたい」と純粋に思った。
それで、「この女性は一体誰なんだ?」とネット中を調べた。
そしてわかったのは、その動画がAIでかなり加工されているということだった。
俺はこの時、ポルノの全てがバカらしくなった。
というか、AIで加工されたAVを見て喜んでいる自分が情けなくなった。自分に絶望したんだ。
まとめ
ポルノ断ちは我慢することではない。
ただ解釈を変えるだけだ。
「もう見られない」ではなく、
「もう見なくても良い」と考える。
これができたら、
それは我慢ではなく解放になる。
ポルノを断った時、あなたの欲望を満たしてくれるのは、現実の女性しかいなくなる。
嫌でも現実世界で戦わなきゃならなくなる。
現実の女性は、ポルノの世界と違って、思い通りにいかないことの方が多い。
でもそれが本来の世界のあり方だ。
俺たちは、ただちょっと間違った方向に所に進んでいただけなんだ。
だから一緒に戻ろう。決して手軽ではないけれど、素敵な世界へ。

